-ささやかな胡桃パン-

『海外文学』と日々のたわいもないノート

シャルロッテ・サロモンによって彩られた僕の記憶すなわち人生『シャルロッテ』ダヴィド・フェンキノス

(画:ささやかな胡桃パンの人)

最近は文章よりも絵を描くのが楽しくて、毎日何かしら描いている。別に絵画とかに詳しいわけではないんだけど、好きな画家とかはいたりもする。クレーとかミロとか。エゴン・シーレとか萬鉄五郎とか。ただの感覚的好み。何でって聞かれても説明は出来ない。

イタリアの作家ブッツァーティが言っていた。「私は絵を描くのが仕事で小説を書くのは趣味だ」(小説じゃなくて文章だったかな?)って。まあ要するに両方できるってことで、何となく僕もそういうのが理想だなって思っている。そう今の理想はブッツァーティ。別に作家でも何でもないくせに。『タタール人の砂漠』は読んだことないんだけど、短編は大好き。

そんな今、『シャルロッテ』という小説に、シャルロッテ・サロモンという画家に出会った。かなり感銘を受け、好きな画家の一人となった。

1943年。シャルロッテガス室に消えた。その直前までに描きあげた作品『life? or theater?(人生?それとも舞台?)』というのがあって、その画集のようなものも購入したんだけど、そちらはまだ見ていない(届いていない)けどかなり楽しみ。

小説『シャルロッテ』はフランスの作家ダヴィド・フェンキノスによる作品。シャルロッテ・サロモンの伝記のようなルポルタージュのような詩のような散文のような、なかなか面白い文体。読み心地が良い。

スラスラと読めるけど、内容は重い。狂気が連鎖する自殺家系に生まれたシャルロッテナチスから逃れ密かに生きなければならないユダヤ人のシャルロッテ。しかしそんな数々の試練に耐え彼女は生き続けた。彼女には芸術があった。支えてくれる人達もいた。

シャルロッテの作品は、絵と一緒に文字も描かれ、動きもあって音楽の指示なんかもあるらしくまるで映画や舞台のよう。総合芸術というやつ?

ヴァルター・ベンヤミンの言葉に「人生の真の尺度は記憶である」というのがあるらしい。シャルロッテは過酷な過去、記憶から逃げずに向き合い、それを描いた。

生き延びるために、わたしは自分の過去を描かなければ。
それしか出口はない。
それを何度もくりかえし口にする。
死者をよみがえらせなくては。
この言葉に彼女は立ち止まる。
死者をよみがえらせること。
わたしはこれからもっと孤独の奥深くまで進んでいかなければならない。
シャルロッテ』(白水エクスリブリス)より

記憶を描いた『life? or theater?』は彼女の全人生だ。そしてその彼女の全人生は僕らの記憶になる。また新たな人生を形作る。過去は未来へ。

ダヴィド・フェンキノスの人生もシャルロッテに出会い変わったのではないか。この『シャルロッテ』を読めばよくわかる。彼が彼女に魅せられていることが、そして深い愛情が。

この小説に出会えて良かったと心から思う。シャルロッテを僕に教えてくれたダヴィド・フェンキノスに、訳者の岩坂悦子氏に多大なる感謝。

泣いた。

これが画集的なやつ↓