-ささやかな胡桃パン-

『海外文学』と日々のたわいもないノート

文学的ヒューマンサスペンス『ダマセーノ・モンテイロの失われた首』アントニオ・タブッキ

(相変わらず適当な絵)

実際にあった事件をモチーフにしたタブッキの『ダマセーノ・モンテイロの失われた首』(1997)。ダマセーノ・モンテイロ通りってのが昔タブッキが住んでいたところにある(あった?)らしい。

人道主義・博愛主義をヒューマニズムっていうのは日本的で、厳密には違うみたい。ヒューマニタリアニズムのほうが近いのかな?まあ無理してカタカナ使わなくてもいいよね。

この『ダマセーノ・モンテイロの失われた首』はそんなヒューマニタリアニズム小説(使ってる)で、基本的にリアリズム(またカタカナ)で書かれていてちょっとタブッキっぽくない。生者がいて、死者がいる。最後のロトン弁護士の言葉にはつい涙してしまう。ああ、僕も人間だったのだ。

ロトン弁護士(因みに主人公ではない)は権威権力に対し静かに理性的に反抗していく。この、感情ではなく「理性的な反抗」というのが好きでね。欲望があるからこその理性。そしてそこにはロトン弁護士の個人的な過去への悔恨もあって、という。

人間の行動原理は記憶、とくに悔恨なんじゃないかと思う。人間の行動におけるグルントノルム(またカタカナ)は神に?いや後悔に在る。このグルントノルム(根本規範みたいなやつ)ってのがやけに頭に残ってて、読み終えてから勝手に自分の中で解釈しちゃったけど、なんか読んでる時は違うこと考えた気がする。

読んでいる時の僕はもはや僕ではない。というのはペソアの影響。

てかなんかロトン弁護士はペソアみたいだなって何となく思った。

やっぱりタブッキはペソアであって、結果この小説も紛れもなくタブッキのものだということなんだろう。

でもタブッキの世界を感じたい時にこれは最初に読まないほうがいいかも。ただ面白い小説を読みたいってだけなら、断然お勧めできるけど。

リスボンの若き新聞記者フィルミーノとポルトの老ロトン弁護士の二人が社会の悪に立ち向かうサスペンス&ミステリー小説、とか言ったら読む人も増えるのかな。